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名古屋高等裁判所 昭和50年(ネ)535号 判決 1978年5月22日

控訴人

水野天明

水野叡子

右両名訴訟代理人

内藤三郎

内藤義三

被控訴人

愛知県

右代表者知事

仲谷義明

右指定代理人

細川治文

外三名

被控訴人

都築嘉雄

古賀正和

右被控訴人ら三名訴訟代理人

伊藤富士丸

外三名

主文

原判決中控訴人水野叡子の被控訴人愛知県に対する部分を次のとおり変更する。

被控訴人愛知県は控訴人水野叡子に対して金一万円を支払え。

控訴人水野叡子の被控訴人愛知県に対するその余の請求を棄却する。

控訴人水野天明の被控訴人三名に対する各控訴、控訴人水野叡子の被控訴人都築嘉雄、同古賀正和に対する各控訴をいずれも棄却する。

控訴人水野天明と被控訴人ら間に生じた控訴費用、控訴人水野叡子と被控訴人都築嘉雄、同古賀正和間に生じた控訴費用はいずれもそれぞれ各控訴人の負担とし、控訴人水野叡子と被控訴人愛知県に生じた訴訟費用は第一、二審を通じて一〇分し、その一を被控訴人愛知県の、その余を控訴人水野叡子の負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人愛知県が名古屋市昭和区に昭和警察署を設置していること、同都築嘉雄は昭和四五年当時同署の署長であつたこと、同古賀正和は同年一一月二七日当時同署員巡査として、交通関係の取締を担当していたことは当事者間に争いがない。

そこで、まず控訴人らの被控訴人都築嘉雄同古賀正和に対する請求について判断する。

右各請求が右被控訴人らの職務行為にもとづく損害の賠償を右被控訴人ら個人に対して求めるものであることは、控訴人らの主張自体に照して明白であるところ、右のような損害については右の公務員が所属する愛知県が賠償の責に任じ、職務の執行に当つた右公務員は個人としてその責任を負担するものではないから、右の被控訴人ら各個人を相手方とする控訴人らの請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

二次に、控訴人水野天明(以下単に天明という)の被控訴人愛知県に対する請求について判断する。

控訴人天明が昭和四五年一一月二七日午後一時過頃(より正確な時刻を後に認定する。)同水野叡子(以下単に叡子という)を同乗させて自動車を運転し、名古屋市昭和区洲原町二丁目三番地先交差点東側路上を西進していたこと、被控訴人古賀は控訴人天明が信号無視による道路交通法違反を犯したとして右交差点西側路上において停止を命じ、天明を取調べたこと、控訴人天明は右取調中に古賀に対して暴行を加えたとして古賀によつて公務執行妨害罪の現行犯として逮捕され、昭和警察署に引致されて同署において取調べを受けたこと、叡子も同署において取調べを受けたこと、以上の事実は当事者間に争いがないところ、控訴人天明は右逮捕・取調は違法であるというので、まず右逮捕・取調の経過について検討する。

<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

控訴人天明は前同日その日に放映されていた青島幸男のワイドシヨー終了時刻頃家を出て名古屋市熱田区二番町の阿知波富子方に酒を届けるべく、自動車を運転して、午後一時四〜五〇分頃前記交差点付近路上を時速四〇キロメートル位で西進した。そして右交差点の停止線の東方約二五メートルの地点を進行中に東西方向の信号機の表示は青色から黄色に変つた。そこで控訴人天明と並進していた他の自動車は右交差点の手前で停止したのに、控訴人天明の自動車だけは、右交差点内に進入して停止線から約七メートル西の地点(本判決添付図面に②をもつて表示した地点、以下はすべて記号のみで表示する)一たん停止した後、対面信号が赤色になつてから再び西進し、右交差点外へ出た。地点で交通監視をしていてこれを目撃した被控訴人古賀は警笛を吹いて控訴人天明に停止を命じ、④の地点で停止した控訴人の側に来て、「あなたの車はブレーキがきくのか。」「並進してきた他の自動車は交差点の手前で停止したのに何故あなたの車だけ交差点に進入したのか。」と言つて控訴人天明に免許証を提示させ黄信号で交差点に入つてはいけないのだといつたところ、控訴人天明は、黄信号無視ではないと反論し、その間に自動車を歩通寄りの④地点に移動させ⑤地点で停止して自動車から降りた。そこに被控訴人古賀がやつてきて控訴人天明に対して再び免許証の提示を求めたところ「さつき見せたではないか。」といつて拒否するので、黄信号無視で交差点に進入したから道路交通法に違反する。反則切符を作成するのに必要だとして、免許証の提示を要求した。ところが控訴人天明は青信号で入つたのだと主張し交通違反をしていないといつてこれに応じないので、被控訴人古賀は「免許証を見せなければ逮捕しなければならない。」と告げたところ、控訴人天明は「逮捕するなら逮捕せよ。」「自分は信号無視はしていない。交差点に入つた時に黄色になつたのだ、交差点に人る直前に信号が黄色に変つたらどうするのか。」「警察へ行つて話をしよう。」等といつて被控訴人古賀に対しその身体に体当りをしたり、自己の自動車の後部座席に押し込もうとしたりする等の暴行を加えなおも「逮捕してみよ」と詰寄つてきたので、同日午後二時三〇分頃被控訴人古賀は控訴人天明を右交差点付近路上で公務執行妨害罪等の現行犯人として逮捕した。なお本件当時の右交差点の信号機の表示の一周期は八四秒で東西方向の青信号は五〇秒、南北方向の青信号は二六秒、黄信号は四秒であつた。

以上の事実が認められ、<る。>右認定事実によると控訴人天明は右交差点の東西方向の信号機の表示が青色から黄色にかわつた時点において優に右交差点の手前の停止線で普通制動によつて停止できる地点(右の停止線の東方約二五メートルの①地点)を進行していたものと認められる。

してみると控訴人天明は運転する自動車が本件交差点の手前で普通制動によつて停止できる地点を進行中に対面信号の表示が青色から黄色に変つたに拘らず交差点に進入したのであるから黄信号無視による昭和四六年法第九八号による改正前の道路交通法一一九条一項一号に違反する行為をしたものということができ、被控訴人古賀が控訴人天明を同法違反の現行犯として検挙したのは適法な職務行為であつたものというべきところ、右職務を執行中の被控訴人古賀に対して控訴人天明は前述のとおり暴行を加えたものであるから、被控訴人古賀が控訴人天明を公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕し昭和警察署に引致同署員が取調べをした行為には何ら違法な点はないものといわなければならない。したがつて控訴人天明のこの点に関する主張は理由がない。

もつとも、右逮捕に引続いて控訴人天明の勾留請求がなされたが、右請求は却下され右公務執行妨害の被疑事実とする事件についても名古屋地方検察庁が不起訴としたことは当事者間に争いがないけれども、右の事実だけでは前記認定判断に照して被控訴人古賀の控訴人天明に対する右逮捕が違法であつたということはできない。

次に、昭和警察署員が右取調中控訴人天明に対し暴行を加えたとの控訴人天明の主張について判断する。

<証拠>によると、控訴人天明が昭和四五年一一月二七日午後昭和警察署において同署の警察官松原増己らより取調を受けた際同署の警察官山口正秀と天明がいすから立ちあがつたり、すわつたりしてジエスチヤーをまじえて被控訴人古賀と控訴人天明との間に前記逮捕当時行われたやりとりについて説明しているうちに、控訴人天明がいすからずり落ちたことが認められるにとどまり、控訴人天明主張のごとき警察署員による暴行のあつた事実については、右主張にそう<証拠>は措信しがたく、他に右事実を認定するに足る証拠はなく、控訴人天明がいすから転落したのが取調べの警察官の暴行によるものとはいえないから、控訴人天明のこの点に関する主張は採用しがたい。

してみれば控訴人天明が控訴人天明自身に加えられた不法行為を前提として慰藉料請求をできる筋合いではないというべきところ、控訴人天明はさらに自己の妻である控訴人叡子が警察官によつて違法な取調を受けたことによる精神的苦痛を被控訴人愛知県において慰藉すべきであると主張する。しかし、妻が受けた苦痛による夫の固有の慰藉料請求が認められるのは、配偶者が死亡した場合もしくは死に匹敵するような苦痛を受けた場合にかぎられるところ、本件において控訴人叡子が右のような苦痛を受けたことについての主張立証がないのでこの点に関する控訴人天明の主張も採用できない。

以上のとおりであるから、控訴人天明の本訴請求はすべて理由なく、失当として棄却すべきである。

三次に控訴人叡子の被控訴人愛知県に対する請求について判断する。

控訴人叡子が昭和警察署において取調を受けたことは前述のとおりであるところ、控訴人叡子は右取調は違法のものであつたと主張するのでまず右取調の状況を検討する。

<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

控訴人叡子は、控訴人天明が前述のとおり逮捕・取調を受ける際その運転する自動車に同乗、同道して昭和四五年一一月二七日午後二時三〇分頃昭和警察署に赴いたのであるが、同日午後三時三〇分から控訴人叡子も同署の取調室で控訴人天明の被疑事実について参考人として同署警察官石黒武幸の取調を受けた。しかし叡子は天明において信号無視はしていないし、また古賀に対して暴行を加えていない旨を供述し、その趣旨は最後まで変らずその供述が他の参考人らの申立と著しく違つていたので石黒武幸は他の参考人を取調べている警察官に事情を聞いたりして控訴人叡子の取調べに時間がかかり、そのため調書の作成にかかつたのは同日午後五時三〇分頃からであつた。その間同日午後四時頃、控訴人叡子は当日訪問予定の阿知波富子方へ今日は行けない旨電話をかけさせてほしい旨石黒に申出たが、その機会も与えられず更に、二女が習字の昇段試験を受けるための受験料を持たせなければならないから家に帰してほしいといつて難色を示しているのに石黒は翌日再び出頭してもらえぬなら供述の内容を調書にしておいた方がよいと思われると一五分ないし二〇分かけて強く説得し調書の作成に応じさせ五枚程度の調書が作成された。右のような事情で控訴人叡子の取調べは長引き、右取調が終了した時刻は、はやくとも同日午後七時三〇分頃でその間控訴人叡子は取調室にいたままで、身体上の都合もあつて便所へも行かれずもとより食事する機会もなかつた。

以上の事実が認められ、<る。>

右の認定事実によると控訴人叡子に対する昭和警察署での取調は参考人としてであり、被疑者としての取調を受けたものではなく、身柄の拘束ないしこれと同視すべき程度の状況下においての取調とはえないから、身柄拘束下においての取調であつたことを前提としてその違法をいう控訴人叡子の主張は理由がない。

しかしながら控訴人叡子は不当に長時間取調をしたことの違法をも主張するのでさらにこの点について検討する。

前記認定事実によれば、控訴人叡子から聴取すべきことは日中公道上での出来事でしかも交通取締の警察官が終始見たり或は関係したところであつて、内容そのものも複雑なものとは到底考えられないのにその取調に要した時間は少くとも午後三時三〇分頃から同七時三〇分頃までの四時間以上であり、しかもその間取調にあたつた石黒警察官は控訴人叡子が知人の阿知波富子方へ電話をかけさせてほしいといつているのに、その機会を与えることなく、控訴人叡子が一家の主婦でまた手のかかる子供があり、当日は子供のための用事があることがわかつていながら夕食時を過ぎても取調を続行したものと認められるところ、右石黒警察官が控訴人叡子をして自宅に電話かけて子供に連絡をとらせる等の配慮をした形跡は認むべき資料はないのである。

ところで、控訴人叡子に対する取調は前述のとおり参考人としてであつたのであるから、その取調は控訴人叡子の任意の協力のもとになされなければならないところ、右認定の取調状況からすれば石黒警察官の取調が控訴人叡子の任意の協力のもとになされたものとは到底いい難く、石黒警察官は控訴人叡子に対して心理的な圧迫を加えて取調を行つたものとみざるを得ず、控訴人叡子の供述がいかに取調官の期待に反するものであつたにせよ参考人に対する取調べとしてはその限度を逸脱した違法のものであつたという他はない。

しからば控訴人叡子は石黒警察官の右違法の取調により、精神的苦痛を蒙つたものというべく被控訴人愛知県は国家賠償法一条にもとづき控訴人叡子に対し損害の賠償として慰藉料支払の義務があり、右精神的苦痛は前認定の諸事情を考慮すれば金一万円をもつて慰藉されるものというべきである。

控訴人叡子はまた控訴人天明に対する違法な逮捕・取調にもとづいて精神的苦痛を蒙つたというけれども前記のように控訴人天明に対する被控訴人古賀が違法な逮捕・取調をしたとの事実が認められないことは前述のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく右主張は理由がない。《以下、省略》

(綿引末男 高橋爽一郎 福田晧一)

添付図面<省略>

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